格闘技動画 大集合!

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柔道 石井慧 爆笑トーク 動画

石井 慧(いしい さとし、1986年12月19日 - )は、大阪府茨木市出身のプロ格闘家(柔道五段)。紫綬褒章受章。血液型はO型。出身道場は修道館(大阪府)。身長 181cm 体重 110kg

2008年8月15日、北京オリンピック柔道男子100kg超級に出場、準決勝までの4試合はすべて一本勝ち、決勝ではアブドゥロ・タングリエフ( ウズベキスタン)と対戦、指導2つの優勢勝ちで金メダルを獲得した。







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柔道 野村忠宏 特集 動画

野村忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )は奈良県北葛城郡広陵町生まれの男性柔道家。6歳のときに柔道を始める。天理高校 - 天理大学 - 奈良教育大学大学院修了。ミキハウス所属。同志社大学スポーツ健康科学部アドバイザー。柔道五段。得意技は背負投。尊敬する人はロサンゼルスオリンピック金メダリストの細川伸二。身長164cm、体重62kg。

日本が誇るオリンピックの申し子。男子柔道60kg以下級の選手として、アトランタオリンピックでノーマークながら優勝。シドニーオリンピックにて柔道軽量級で初の二連覇。アテネオリンピックにおいて柔道史上初、全競技通してはアジア初、となる三連覇を達成した。縁起かつぎは青いトランクスとうどんである。

小柄な体から繰り出される多彩な技や、抜群の切れ、スピード、天性の守りのカンが天才的と称される一方、練習嫌いを公言。練習は週4日、コーラが大好きで減量は二度風呂で済み、対戦相手を研究せずに試合直前まで寝る、という目に見えて努力しない姿勢と、試合前後の誰も寄せつけない集中ぶりのギャップから天才肌だと言われている。その他、小柄さから「小さな巨人」、得意技が背負投であることから「平成の三四郎」との異名もある。











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柔道 平成の姿三四郎 古賀稔彦 特集 動画

古賀 稔彦(こが としひこ、1967年11月21日 - )は、柔道家。世田谷学園高等学校、日本体育大学卒業。元日本体育大学助手、前全日本柔道女子強化コーチ(2005年11月末にて退任)。現在は、環太平洋大学体育学部教授兼女子柔道部総監督、古賀塾塾長。佐賀県三養基郡北茂安町出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト。柔道七段。身長170cm、血液型はA型。

柔道を習っていた兄の影響で小学1年生から柔道を始め、中学1年で上京。柔道私塾講道学舎に入門する。世田谷区立弦巻中学校から世田谷学園高等学校、日本体育大学に進み、在学中はそれぞれ数々のタイトルを獲得、怪我を克服しながら順調に成長する。

常に一本を取りに行く柔道と、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投が得意技であることから「平成の三四郎」の異名をとった。全盛時の古賀の一本背負いのキレ味は凄まじく、気づいたときには相手は宙を舞っていると言われていた。実際に、全盛時のバルセロナオリンピックの時は、技を完成させるまでにわずか0.4秒であったという。

古賀自身が著書で述べているとおり、1991年の世界選手権を迎える頃には古賀の一本背負いは研究され尽くしており、技の幅を広げる必要があった。そこで、古賀は同じ担ぎ技系統の袖釣り込み腰、釣り込み腰、首投げを習得し、一本背負いに入るパターンを増やすことも考えて、巴投げや小内刈りを習得、磨きを掛けた。その効果が発揮されたのが翌年のオリンピック優勝であり、1995年の世界選手権での全試合一本勝ちであった。つまり、一本背負いを軸として相手がそれを警戒すれば別の技を仕掛け、別の技を警戒すれば一本背負いで仕留めるというスタイルを作り上げた。

1992年、バルセロナオリンピック選手団主将を務める。バルセロナオリンピック直前に吉田秀彦との乱取り中左膝に大怪我を負ったが、痛み止めを打ちながら見事金メダルを獲得、その姿は日本中に感動を与えた。
1996年、アトランタオリンピック直前の選考会で1本負けを喫した。しかし過去の実績から古賀は選出されて、銀メダルを獲得した。
2000年現役を引退。



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柔道 篠原信一  シドニー五輪100キロ超級 決勝 疑惑の判定 動画

篠原 信一(しのはら しんいち、1973年1月23日 - )は、日本の男子柔道家。兵庫県神戸市長田区出身。身長190cm、現役時代の体重135kg。
中学1年より柔道を始め、育英高等学校を経て天理大学に進学。大学生の時に才能が開花し、多くの大会を制覇した。得意技は大外刈り。外国人に負けない体格と技術、パワーを持つ。段位は5段。現在、天理大体育学部准教授で、同大学柔道部監督。また、2008年11月から柔道男子日本代表監督を務めている。

誤審問題
シドニー五輪100kg超級決勝で、フランスのダビド・ドゥイエと対戦した際に、ドゥイエが内股を仕掛けてきたのに対して篠原は内股すかしで返した。

これに対して、主審と副審の一人はドゥイエの技を有効とした。もう一方の副審は篠原の技を一本と宣告した。山下泰裕選手団監督は、審判委員に審判団の再協議を申し出られたにも関らず、それに気づかず試合の継続を許してしまった。
 結局、試合時間が過ぎてドゥイエの優勢勝ちとなった。試合後、山下泰裕選手団監督が猛抗議したが、判定は覆らなかった。
 日本でのNHKテレビ解説も「今のは間違いなく篠原の一本。誤審だ」と絶叫。大会の総合司会を行っていた有働由美子アナウンサーは畳を降りる篠原選手の姿をレポートする際、この日本が金を逃した不可解な判定に、やや涙を抑えつつ言葉を詰まらせる場面があった。
 この結果に対して、日本では、柔道関係者、マスコミともに誤審と断定して審判を批判した。全日本柔道連盟にも抗議が殺到し、中には主審を務めたクレイグ・モナガンやニュージーランド柔道連盟(主審の出身国)に脅迫まがいの電子メールを送りつけるものまでいた。
篠原は「自分が弱いから負けた」とそれ以上言明せず、潔く引き下がった。
 五輪終了後、国際柔道連盟は、この試合のビデオを分析した。その結果、篠原もドゥイエも技が完全ではないと国際柔道連盟理事会は判断し、問題の場面では両者にポイントを与えるべきではなかったと結論付け、篠原の内股透かしを無効とした事ではなく、ドゥイエの内股を有効とした事について誤審と認めた。だが、試合場から審判が離れた後は判定は覆らないという国際柔道連盟試合審判規定第19条によりドゥイエの優勝は覆らなかった。



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柔道 吉田秀彦 柔道家の軌跡 動画

吉田 秀彦(よしだ ひでひこ、1969年9月3日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。愛知県大府市出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリスト。柔道六段。吉田道場師範。

大府西中学校〜講道学舎入門〜世田谷区立弦巻中学校(中学3年時に転校)〜世田谷学園高校〜明治大学
1991年から1997年まで新日鉄に所属。1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級で金メダルを獲得した。
1997年から2002年まで母校明治大学の柔道部の監督を務める。
2000年、シドニー五輪柔道競技 90kg級に出場。3回戦で対戦相手の投げを手をついて耐えた際に右肘関節脱臼の怪我を負い、敗退[1]。同時に敗者復活戦は不戦敗となった。
2002年、全日本柔道選手権への出場を最後に第一線から退き、自らの道場である吉田道場を設立、師範を務めている。また、同年、ゴールデンハート賞を受賞した。







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柔道 小川直也 バルセロナオリンピックで95kg超級・決勝 動画

小川 直也(おがわ なおや、1968年3月31日 - )は、東京都杉並区出身の男性プロレスラー、総合格闘家。元柔道選手(五段)でバルセロナ五輪銀メダリスト。全日本柔道選手権優勝7回(5連覇、2連覇)は山下泰裕に次ぐ歴代2位。

1992年、バルセロナオリンピックで95kg超級・決勝でグルジアのダヴィド・ハハレイシヴィリに敗れ、銀メダル。



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柔道 山下泰裕 ロサンゼルスオリンピック 16日間の栄光の軌跡 動画

山下が唯一出場した、1984年のロサンゼルスオリンピックでは、2回戦・西ドイツのシュナーベル戦で軸足右ふくらはぎに肉離れを起こしてしまった。山下は左に組むため、右足・軸足の肉離れで大変に不利な状況に立たされた。2回戦は送り襟絞めで勝利を収め、試合後控え室に引き返すまでの間、山下は肉離れを決して悟られまいと平然に振舞って普通に歩いたつもりが、誰にもわかってしまうほど明らかに足を引きずっており、それは映像にもはっきりと映っている。山下が控え室に戻るなり、コーチ陣に慌てた表情で問い正された事で、自分の肉離れが全て悟られてしまった事に気がついた。

山下は一旦は落ち込むが、次の試合時刻が迫ってくる中開き直り、“足を引きずってもいいから相手を見据えて胸を張っていけ”と自身に言い聞かせ準決勝に臨む。準決勝の相手はフランスのデル・コロンボ。過去の対戦から組みし易い相手と山下は考えていたが、軸足の肉離れが影響したためか、開始30秒で大外刈りによる効果を取られてしまう。直後は動揺したものの直ぐに我に返り、激しく自身を鼓舞、守りに入ったコロンボ選手を大内刈りと横四方固めの合わせ技で逆転した。
決勝
エジプトのモハメド・ラシュワンとの決勝戦前、山下の頭には『金メダルを取り表彰台の中央で観客に満面の笑顔で応える山下』と『タオルを被って号泣してうつむく山下』の両方のイメージが交互に浮かんだ。師匠の佐藤は「投げられても一本取られなければいい、寝技に持ち込んで勝つ方法もある」と冷静にアドバイスする。一方山下も、同じ控え室で気合を入れて調整をしている試合直前のラシュワンに対し、意図してにっこり微笑みかけた。目が合い、笑顔で応じたラシュワンの緊張が解けた様を見て、山下は勝機を感じていた。

ラシュワンの指導者は「初めの一分間は我慢して攻めないように」とラシュワンに指示したが、ラシュワンはそのアドバイスを忘れたかのように強気で攻め始める。冷静な山下はラシュワンの攻めに無意識に反応、ラシュワンが体勢を崩した瞬間を捉えて押さえ込みに持っていき、横四方固め。一本を伝えるブザーが鳴った瞬間、山下は畳に両手を力強く突いて立ち上がり、涙でくしゃくしゃになった表情を隠そうともせずに喜びを表現した。この表情は繰り返し放送され、山下の決して平坦ではなかった道のりを示す名場面となっている。全て一本勝ちでの金メダルである。

表彰台の中央に上ろうとする山下に、ラシュワンは山下の足を気遣って手を差し伸べ、友情の証として世界から評価された。またラシュワンも、山下の右足を狙わなかったと述べたことから、そのフェアプレーの精神を称えられた

山下 泰裕
(やました やすひろ、1957年6月1日 - )は、日本の柔道家。熊本県出身。東海大学卒業。同大学教授、柔道部監督。柔道指導員。前全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(1992年 - 2000年)、前男子強化部長(2000年 - 2004年)、強化副委員長(2004年 - )。前国際柔道連盟教育コーチング理事(2003年-2007年)。全日本柔道連盟理事。日本オリンピアンズ協会理事。段位は八段。引退から逆算して203連勝(引き分け含む)、また対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録を打ち立てた。1985年6月17日引退。 国民栄誉賞を受賞しており、現役時代のその圧倒的な強さから「史上最強の柔道家」とする声も多い。



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稀代の柔道家 木村政彦の柔道技解説 動画

木村 政彦(きむら まさひこ、1917年9月10日 - 1993年4月18日)は、日本の柔道家(七段)。身長170cm、体重85kg。独自に研究を重ねた腕緘(腕緘そのものは以前から存在)や、外無双を掛けながらの一本背負投を考案した事でも知られる。

その荒々しい柔道スタイルから「鬼の木村」の異名を持つ。

戦前の全日本柔道選士権大会(現在の全日本選手権の前身)3連覇に加え、翌年選士権大会に代わって開催された天覧武道大会、戦後の第2回全日本柔道選手権(第1回には不参加)まで、およそ13年以上にわたって公式試合で無敗のまま昭和25年、プロ柔道家に転身、さらにプロレスラーになった。後に柔道界に復帰し、母校拓殖大学の指導にあたるが、講道館は最後まで木村にプロの烙印を押したまま七段から昇段させず、柔道殿堂にも入っていない。そういう意味で悲劇の柔道家でもあった。

しかし、一方で、昭和26年にブラジルでエリオ・グレイシーの挑戦を受け、得意の腕緘を極めて圧勝し、総合格闘技の種を蒔いたという意味で、現在の「総合格闘技の父」としての顔も持つ。



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